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肉食禁止の江戸でなぜ食べた?山くじらとももんじ屋の背徳グルメ史

「江戸時代は肉食禁止」──歴史の授業でそう習ったはずなのに、文献をのぞくと猪鍋や鹿の味噌漬けが堂々と登場する。このギャップに、思わず首をかしげた経験はありませんか。実際、江戸の人々は“いけないものほど、美味しく感じる”という心理も手伝って、こっそりでも、時に堂々とでも獣肉を楽しんでいました。

とりわけ「ももんじ屋」と呼ばれる獣肉専門店は、両国にずらりと並び、店先には皮をはいだ猪や鹿が吊るされ、強烈な匂いとともに客を誘っていたと言われています。冷蔵技術も血抜きの知識も十分でなかった当時、臭みとの戦いもありながら、それでも「精がつく」という信頼が勝ったのです。

禁止と欲望、建前と本音が入り混じる“背徳の食文化”。その奥には、タブーに挑む江戸っ子のしたたかな知恵と、どこか人間らしい弱さが息づいています。

この記事でわかること
  • 江戸の人々がなぜ獣肉を食べるようになったのか
  • ももんじ屋の実態とゲテモノ料理の味・価格感
  • 隠語文化や現代ジビエとのつながり

江戸時代の「ゲテモノ料理」はなぜ生まれたのか

江戸のゲテモノ文化を理解するには、まず「なぜそんなタブーの中で獣肉を求めたのか」という根本の動機から見ていく必要があります。禁止されているのに食べた──その背景には、驚くほど“人間らしい理由”が潜んでいます。

公的な“肉食禁止”と、庶民が編み出した「薬喰い」の言い訳

表向き、江戸時代は「肉食禁止」という建前が強く、特に四足の獣肉は忌避されていました。その理由は、仏教的な殺生観や将軍家による政策によるものです。しかし、人間は弱るとどうしても栄養のあるものを求めるもの。病後の体力回復や厳しい寒さに耐えるため、江戸の人々は獣肉を“薬”として摂取するという巧妙な理屈を生み出しました。


(ポイント)「これは食事ではなく、体を養う薬なんだ」という言い訳は、当時の養生思想とも結びつきます。

四足の肉は精がつく──そう信じられていたからこそ、建前をすり抜ける“正当化のロジック”として自然に受け入れられていきました。この柔らかな空気感こそ、江戸らしいと感じられて少しクスッとしてしまいます。

“体制への小さな反抗”としての背徳グルメ文化

獣肉を食べる行為は、単なる栄養補給ではありませんでした。「いけないと言われると、余計に欲しくなる」という感覚は、今の私たちも覚えがありますよね。江戸の庶民も同じで、隠語を使ってでも食べるその行為そのものが、ある種のスリルであり、息苦しい社会へのささやかな抵抗でした。

さらに、当時の医療事情を考えれば、疲労や病気は命に直結する深刻な問題。だからこそ「精のつくもの」への執着は切実で、禁止の建前を超えて実利を求めざるを得なかったのです。ただの反抗心だけではなく、生きるための知恵としてゲテモノ文化は根づいていきました。

江戸の両国に広がった「ももんじ屋」の世界

江戸のゲテモノ文化を語るうえで欠かせないのが、獣肉専門店「ももんじ屋」です。両国界隈に軒を連ねていたこれらの店は、当時の人々にとって“非日常の食体験”そのものでした。店先の匂いや雰囲気を想像すると、思わず引き込まれるような強烈な世界が広がっています。

皮を剥いだ獣が吊るされた店先──ももんじ屋の店構えと匂い

当時の記録によれば、ももんじ屋の店先には皮をはがれた猪、鹿、熊などがそのまま吊るされていました。冷蔵設備がない時代ですから、視覚的なインパクトはもちろん、血の匂いや獣臭が通りまで漂っていたと考えられます。

その“生々しさ”は、現代の精肉店とはまったく別の世界です。少し怖さすら感じるような空気の中で、「あれは何の肉だ?」と好奇心を刺激される江戸っ子も多かったはずです。見世物のようでありながら、ひと口食べれば体が温まる──そんな期待感が、独特の興奮を生んでいたのでしょう。

提供されていた主な鍋料理と価格帯

獣肉は当時、味噌とネギで煮込む鍋料理として提供されることが一般的でした。臭みを抑え、肉の旨味を引き出すために工夫された“江戸の定番スタイル”です。

代表的なゲテモノ料理と現代価格の参考

料理名 現代価格の参考 特徴
猪鍋(牡丹鍋) 約4,320円 甘い脂が溶けるようで人気が高い
鹿鍋(紅葉鍋) 約4,200円 淡白で鉄分豊富、味噌との相性が良い
熊鍋 約5,250円 独特の野性味、滋養強壮として特別視
鹿刺身 約1,680円 鮮度が極めて良い場合に限られる珍味

普段から気軽に食べる価格ではないため、「今日は精をつけたい」「ここぞという夜に食べるご馳走」という位置づけであったことがうかがえます。

主要客層と利用シーン──“精をつける”ためのハレの食事

ももんじ屋の客層は、力仕事の多い武士や職人、ある程度の経済力を持つ町人たちでした。彼らにとって、獣肉は“薬喰い”としての意味合いが強く、「ここ一番で体力を回復したい」「寒さに負けない体を作りたい」という切実な思いを満たす存在でした。

普段の夕食とは明らかに違う“特別な食事”だったからこそ、ももんじ屋は江戸の街で一つの文化として根づいていったのです。ちょっと背伸びをしてでも食べに行く、そのワクワク感は現代の私たちにも通じるものがあります。

隠語で読み解く、江戸のゲテモノ肉の正体

獣肉がタブーとされていた時代に、江戸の人々は驚くほど巧妙で、どこかユーモラスな“言葉の魔法”を使って肉を楽しんでいました。それが「山くじら」「紅葉」「桜」などの隠語です。禁止の空気をすり抜けるための知恵でもあり、同時に粋な遊び心の表現でもありました。

猪=山くじら、鹿=紅葉、馬=桜──植物に化けた獣たち

獣肉をそのまま「猪」「鹿」と言うと角が立つ。そこで江戸の人々は、肉を植物に見立てた言い換えを広めました。

主な隠語とその由来

  • 山くじら(猪)
    海のクジラは“魚扱い”で食べても問題ない、なら山のクジラ(猪)も魚の一種だ──そんな強引さが、むしろ洒落として愛された言い訳です。
  • 牡丹(猪肉)
    猪肉を皿に盛ったとき、赤と白のコントラストが牡丹の花のように見えることから。
  • 紅葉(鹿肉)
    花札の「紅葉に鹿」になぞらえた柔らかい言い回し。
  • 桜(馬肉)
    肉色の鮮やかなピンクからの連想で、のちに広く定着。
  • 柏(鶏肉)
    地鶏の羽色が、枯れた柏の葉の色に似ていることから。

こうして見ると、江戸の人々は“禁止”と向き合いながらも、どこか楽しげに名前を付け替えていたことが分かります。窮屈な社会であっても、柔らかなユーモアが息づいていたのだと感じると、少し心が温まります。

隠語が広まった理由──言葉遊びと社会的合意の巧妙な仕組み

隠語文化が成立した理由は、「言い換えれば合法になる」といった単純な逃げ道だけではありません。江戸では、場の空気や言葉の洒落を重んじる文化が強く、たとえ理屈としては苦しい説明であっても、「面白いから良し」とされることが多かったのです。

例えば「山くじら」という言葉を使うことで、店側も客側も“魚扱いなら問題ないよね”という暗黙の共通認識を持つことができました。こうした社会的な合意が、タブーと日常を巧みに結びつけていたのです。

禁止の中で育まれた独特の言語感覚は、江戸のしたたかさと粋を象徴するものであり、読んでいるだけでその軽やかな世界観に惹かれてしまいます。

江戸のゲテモノ肉はどんな味だったのか

タブーをくぐり抜けてまで食べられた獣肉は、いったいどんな味がしたのでしょうか。江戸の文献や現代ジビエの食味評価をあわせて眺めると、想像以上に豊かな“味の世界”が広がっています。読んでいるだけで湯気の香りが立ち上るような、生き生きとした食体験が浮かんできます。

猪(山くじら)・鹿(紅葉)・アナグマ(狢)・熊の味と特徴

それぞれの獣肉には個性的な香りと味わいがあり、江戸の人々はその違いをしっかりと楽しんでいました。以下は主な特徴です。

主なゲテモノ肉の味と特徴

  • 猪(山くじら)
    濃厚な旨味と、融点の低い甘い脂が魅力。味噌と合わせると深いコクが出て、鍋にすると身がほろりと崩れる。
  • 鹿(紅葉)
    脂が少なく、鉄分が豊富で淡白な味。獣臭を抑えるため、味噌漬けや濃い味付けの鍋にして食べられた。
  • アナグマ(狢)
    “脂の塊”とも言われるほど濃厚で、現代のジビエ愛好家からも絶賛される美味。脂は口の中でスッと溶け、強烈な甘みが広がる。

  • 野性味が強く、筋繊維が太い肉質。脂は甘いが個体差があり、臭みが強いものは丁寧な処理が必要とされた。

こうした違いを知ると、江戸の人々が“薬喰い”と呼んででも食べたくなる理由が、どこか納得できてしまいます。

味噌とネギで臭みを消す“江戸の定番調理”が生まれた理由

当時は冷蔵技術がなく、血抜きなどの処理も現代ほど体系化されていませんでした。だからこそ、獣肉特有の臭みは大きな問題でした。そこで編み出されたのが、味噌とネギをふんだんに使った鍋料理です。

味噌は発酵の旨味で肉のクセを包み込み、ネギは強い香りで臭みを抑える“天然の消臭剤”として大活躍。現代のぼたん鍋に通じる味の原型は、この時代にかたち作られていたのです。寒い日に湯気が立ちのぼる鍋を囲む情景を思い浮かべると、なんだか心まで温まります。

危険な美味──フグが“鉄砲”と呼ばれた背景

フグは江戸時代、庶民の間でひそかに食べられ続けた“命がけの美味”でした。中毒死すると「鉄砲に当たった」と呼ばれたほどで、笑えない表現ながら、当時の危険性を端的に示しています。

豊臣秀吉の禁令以降も、その美味しさゆえに食べる人は後を絶ちませんでした。武士階級では厳しい罰則を設ける地域もあったほどで、それでも箸が伸びてしまったというのは、人間の弱さと、食への執念が入り混じったような、複雑な魅力を感じます。

江戸時代 料理 ゲテモノ に関するよくある質問

ゲテモノ文化には、建前と本音、タブーと好奇心が複雑に絡み合っているため、読者が気になるポイントは多岐にわたります。ここでは特に質問の多いテーマに、端的に答えていきます。

肉食禁止の時代に、なぜ獣肉を食べても許されたのか?

公的には禁止されていましたが、獣肉は「薬喰い」として扱われ、病後の回復や寒さ対策の“薬”とみなされたため黙認されました。宗教や政策より、実際の生活や健康が優先されたのです。

ももんじ屋はどんな店で、誰が利用していたのか?

皮を剥いだ獣が吊るされた迫力ある店で、味噌鍋を中心に獣肉を提供していました。客は体力を必要とする武士や職人、経済力のある町人などで、「精をつけたい日」の特別な食事として利用されました。

「山くじら」「紅葉」などの隠語はどうやって生まれたのか?

獣肉を直接“猪”“鹿”と呼ぶと禁忌に触れるため、植物や自然現象に見立てた洒落た言い換えが広まりました。理屈よりも“粋な言葉遊び”が尊ばれた江戸文化の中で、自然な社会的合意として定着したのです。

江戸の獣肉料理はどんな味だったのか?

猪は甘い脂が魅力、鹿は淡白で鉄分豊富、アナグマは脂の甘みが極上、熊は野性味が強いなど個性豊かでした。味噌とネギで臭みを抑える鍋が一般的で、寒い日にぴったりの濃厚な味わいだったと言われます。

庶民が獣肉を食べて罰せられることはあったのか?

基本的に庶民は黙認されていました。特に獣肉は“薬”として扱われたため問題視されにくかったとされます。ただしフグは禁止が厳しく、藩によっては死亡した場合に家名断絶などの厳罰が科された例もあります。

まとめ

江戸時代のゲテモノ文化は、タブーの中で生き抜くための知恵と、人間らしい欲望が混ざり合って生まれたものでした。ももんじ屋の鍋を囲む情景や、山くじらといった隠語に込められた粋な遊び心を知ると、江戸の人々のしたたかさがより鮮明に浮かび上がります。

現代のジビエブームがこれほど注目されるのも、きっと“禁忌を越えて美味を求める心”が私たちの中に脈々と残っているからでしょう。歴史を知れば知るほど、食の世界はますます面白くなります。

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